2022年05月31日

五輪真弓

五輪真弓は年代で言えば中島みゆきと同年齢世代です。(正確に言えば、二人とも早生まれで五輪真弓が一年早く生まれています))
しかし、結婚してからは、活動らしき活動はしていません。豊かな声量と、この頃の女性歌手としてはまれな広い音域をカバーする特徴を備え、しかも、コンサートでは自分の歌を「数々の名曲」と言ってはばからないウイットも持ち合わせていました。

今どうしているでしょうか。
現役でいる歌手は、もうほとんど残っていません。あのユーミンは68歳中島みゆきは71歳ともなれば、ここまで現役を続けられている方が凄いと思いますが……。もっとも、矢沢永吉なんて言う存在もいますがね。(72歳なので、そんなに凄いということもないですが)

ここからは、想像ではありますが、もしまた五輪真弓が舞台に登ることが有るとしたら、その時は見事な声を聞かせてもらえると思います。
池袋のパルコ劇場で、毎年開催していたライブでは、軽妙なトークを交えた語り中心の前半と、歌を思いっきり聞かせる構成の後半の二部構成の舞台を、何度か前の方の席で見た事が有ります。

そして、彼女のプロ意識をしっかり見届けたシーンが有りました。
シンプルな舞台なので、歌は全てカラオケです。マイクを持ちながら、白い装束でゆっくりと謳いながら舞台の前の方へ歩いてくるシーンで、それは起きました。彼女の歩いていた床と思っていたのは、実は数多くの箱を敷き詰めてその上に大きな布を敷いただけのセットだったのです。

箱の高さは一定にそろえられていましたが、その敷き詰め方が甘かったのか、彼女のピンヒールがあろうことか箱と箱の隙間に落ち込んでしまったのです。当然からだは大きく揺れ、かなり傾きました。
しかし、マイクが拾った声は、全く何の出来事もなかったように、朗々と発する歌声そのものでした。

素人だったら、あまりのことに声を止めるどころか、キャーッという嬌声を発してもおかしくない場面です。しかし、顔色はまったく変わらず、平然と同じペースで歩を進めて、曲は進行していきました。この時ばかりは、歌い終わると物凄い歓声が上がったことは、想像が付くでしょう。
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2022年05月30日

SNSで味覚は変わるのか

行列のできる飲食店やパン屋・ケーキ屋は、全国にたくさんあるようですが、そのどれもが美味しいかと言えば、正直、外れの店もいっぱいあるのは間違いありません。例えば、パン屋を例に取り上げてみますね。

大手の製パン業者が、食品スーパーでは売り場面積を大きく占めているのに、なぜかそのスーパーの厨房でもパンを焼いて、店内で販売しています。そして、そのスーパーから30mのところに作りパン屋が有ります。
反対方向に約60mくらい行ったところに、チェーン店の安売りパン店が有り、そのパン屋の前に走っている線路のちょうど反対側のところに、新規に作りパン屋が営業を開始しました。

そして、その店の奥の方にも数店作りパン屋が有ります。
こんなにもたくさんあるパン屋なので、私がこの地に転居して数か月間は、これらのパン屋を一通りイヤ二通りぐらい、購入して食べてみました。そして、至った結論が、冒頭の分に集約されたわけです。

特に、新規に開店した店程、特徴を出そうとするあまり、他店ではないような材料の組み合わせやコーヒーサービスなどの策を打って、顧客獲得に懸命です。そして、あまりランク的には高くない店の店内レイアウトが、名古屋の超有名パン屋のコンセプトを真似しており、ところどころに売れ筋を置いてありますが、やや通路を狭く設定しているので、一方通行にしか歩けないため、ついこれもそれもと手が伸びるような仕掛けになっています。

本当にどれもおいしければ、それでも「ま、イッカ。」となりますが、残念ながら外れもつかまされます。こんな経験をすれば、自然に足は遠のきます。ところが、ある程度人口が多い都市ならば、新規開店+2割引券を折込広告で定期的に配布していますので、新規の客が来店し、したがって客足は落ちないいうわけです。その様子を買いもしない人が、SNSにアップするものですから、行列の絶えない……となって、名前だけが独り歩きし始めます。
その典型が、某人口湖近くのパン屋です。私もとりあえず買いに行き、その混雑ぶりは目にしていますが、味はと言えば、それこそ昔からある近所のパン屋より???というレベルですが、いったんSNSやメディアで取り上げられると、その後光の力は大変なものです。

でも、それを信者のごとく信用するのだけはやめてください。まして、食べてもみないで拡散するのは、ある意味罪を重ねることになりますよ。自分の味覚に合わなければ、それは自分に取ってマズイのです。他人がマズイと言っても、自分にとって美味しければ、それは美味しいのです。自分の味覚は、自分だけのものであって、SNSで誘導されるのは愚の骨頂だと思ってください。
ラベル:パン屋 群立 味覚
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2022年05月29日

才能の量

人間は未知の部分が多すぎると言われながら、個人レベルで見ていくと、未知の部分を未知のままに、ただ漫然と人生を過ごす人が圧倒的に多いのですが、その中のごく一部の人が未知の部分を開花させると、それは才能として光り輝くチャンスをゲットしたのです。

それがどんな場面で生きるかは、予測が付くものではありませんが、いったん方向性が付くと本人の意思とは関係なく暴走し始めますが、その暴走を平然と受け止め自分の活動に組み入れることができると、それはもう爆発的な力となって、時代の寵児として祀り上げられるくらいのエネルギーで押し上げてくれます。

そうして生き残っているのが、ミスターチルドレンであり、B’zでありサザンオールスターズでしょう。
そうして表舞台から、気持ち引っ込み気味になっている中島みゆきもその仲間です。
こうしたアーティストと呼ばれる人たちの活躍は、ファンであれば先刻承知のことではありますが、決して平たんな道ではなかったはずです。

しかし、派手な活躍はしたものの、年齢的にはさほどに行ってはいなくても、音楽番組の「そうそうあの時に、この歌は凄くヒットしたよね。」的、懐古的なコーナーに時折出演できる人達は、輝きが鈍くなってしまい、そこには過去の存在となってしまった感が漂います。
先日も、ミュージックステーションでそうしたグループに演奏させていましたが、当然残念な結果を招くような演奏に終始していました。

過去の人かどうかは、その歌唱に荒れが有るかで一発で分かります。過去の栄光を見せる大事なサビを、殊更に強調するような歌唱をするならば、それこそが過去の残骸に過ぎないと、視聴者は極めて自然に受けとめるのです。
それくらい、今は音響の技術が発達していますから、ごまかしは効きません。

そうして考えてみると、「未だ現役」の感さえ感じさせないで活躍を続けることが出来ているアーティストたちは、持てる才能の量が圧倒的に多いのだと思います。それが一番よく分かるのが、シンガーソングライターと呼ばれる人たちです。自分の雰囲気をしっかりと保ちつつ、決して似たようなメロディーラインを使わずに次々と曲をリリースし続けられることこそ、才能と呼ばずして何と言えばよいのでしょう。
posted by ホワイトミスト at 01:31| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする