2020年09月01日

つむじ風 のニュース

今朝、どこかの学校の校庭で撮影された「つむじ風」の映像が流されていました。以前なら、数秒から数十秒の現象が撮影されること自体極めて稀でしたので、このことだけを捉えればスマホの普及は、本当に細かな短い現象や事件でも報道のネタを作り出すのに一役買っていることだけは間違いありません。

でも、今日のつむじ風の映像を見て、殊更に取り上げなくても良いのではないかと思ってしまいました。しかも、気象予報士のコメントで、晴れた日の少し広い範囲の地面が暖められると小さな上昇気流が………云々。」と、当たり前のことをわざわざ付け加えていました。

学校に普通に通っている生徒であれば、こんな光景は少しも珍しいものではなく、体育の授業や運動会などでかなり頻繁に見ているはずです。
ここいらへんが今のテレビのニュースの取捨選択の基準がおかしいところで、もしかするとこういった現象を見る機会の無かった子供時代を過ごした大人が、ディレクターになっているのではないかと勘繰ってしまいます。

所謂「ひきこもり」です。個人部屋を持つことがブームとなっていた時代は、そのステイタス性で持つことを無理してでも実現した家庭も多かったように記憶しています。ところが、いざ子供部屋が当たり前になってしまうと、そこに閉じこもってさえいれば、外界との接触を断ち切って、自分の好きな世界にだけ浸れることを覚えてしまう子供が続出してしまいました。

今はその反動が来ていて、快適な大空間でありながら、子供それぞれの居場所を確保できるような設計がもてはやされてきています。流行というものは、時に文化の根源さえ危うくさせますが、テレビニュースの取り上げ方ひとつで、まさか自分の生い立ちを攻められることが有ろうとは、元引きこもり諸氏には想像もつかないことでしょう。

こんなことを言えるのも、テレビ人の中には、相当変わった人種がいて、その人たちの基準で番組編成が成り立っていることもしばしばあるように思われるからです。そのよい例が、深夜の実験番組によくみられるバカふざけです。視聴率絶対の世界ですから、ひょんなトレンドのいたずらで視聴率が上がってしまう僥倖に恵まれたディレクターは、実力に関係なくつまらない俗悪番組を量産させられる事になり、やがて過激に走りすぎて事故を起こして番組おとりつぶしの憂き目にあうという構図は、今も昔も待った変わりません

つまり、進歩が感じられない虚構の世界なんです。つむじ風がエライ方向に行ってしまいました。ま、いつものことですが………。
posted by ホワイトミスト at 00:20| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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