2021年06月09日

耳コピの限界と修正作業の有無

さる有名ストリートピアニストのユーチューブを画像をたくさん見ていると、いやでも粗が目立ってきてしまうことが有ります。気にすまいと思っても、いったん気になりだしたら、それを消し去って聞き続けることが出来なくなってしまいます。先日も森山直太朗の大ヒット曲である「さくら」を弾いている映像を見ていましたら、もっとも有名な「さくら〜♪」の「さ」と「く」の音程が同じまま何度も弾いているのに気づいてしまいました。ここはだんだん音程が上がっていくフレーズですから、その違和感たるや相当なものです。

先日も、同じ型の「なごり雪」で、同じ類の指摘をさせていただきました。

面白いもので、原曲通りの音符で引いた後のフェイクならば、そんな違和感は少しも感じないのですから、人間の感性というのは、かなり厳格なのかもしれませんね。今回指摘させていただいた方は、盛んに「耳コピ」という言葉が使っていますが、ご自分の記憶力に自信があるのでしょうが、その場でのリクエストで急遽「耳コピ」したのであればある程度の間違いは許容され得るべきものでしょうが、セットリストに掲げた曲であるならば、やはり原曲をしっかりと確認する作業は大事だと思います。

ミュージシャンであれば、読譜は問題なくできますから、特に重要と思われるサビの部分についての記憶をリセットする意味での確認作業は必須なのではないでしょうか。素人が音程を外すのはご愛敬で済みますが、インプロビゼーションを易々とこなす能力をお持ちの方だからこそ、敢えて口幅ったいことを書かせていただきました。(評論家と同じで、自分では弾けないくせに、ずうずうしいですね。)

才能が弾けるさまを「才気煥発」などと表現しますが、まさにそれを感じさせる能力をお持ちな方だけに、ユーチューブ画像一つとっても破綻のないものを届けてほしいと思ってしまうのです。
ある小説家がこうつぶやきました。「読者はとても残酷な生き物だ、何故なら、僕が頭をかきむしってうんうん唸って何日も何十日もかかって書き上げた作品を、さっと読み終わってしまい、さぁ次は………、と急かしてくるのだから。」

これに近いものを、この文章はこのピアニストに求めているのです。「お出来になるのだから、もっと完成度を上げて欲しい。」贅沢でしょうか。いえ、弾き飛ばすのではなく、丁寧に弾いて聴衆を唸らせ続けて欲しいと思っています。
posted by ホワイトミスト at 01:24| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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